建築は営業ができないと仕事を取れないと痛感し、30歳で営業の世界へと飛び込むことに。
大手建築メーカーにいったん腰掛のつもりで就職。
現在、その建築メーカーは大きく成長し業界ではトップになっている。
自分の希望で営業職に・・・
営業マンとして、ストレスで10円禿げを作りながらも必死で飛び込み営業をする。
ドアを閉められたり、犬に噛み付かれたり、門前払いをされたりすることもよくあった。
一年目の営業マンとしての仕事は非常につらく、元技術屋で世の中のこともよく知らない、うぶな私には荷が重過ぎた。
しんどかった。
また挫折しそうになる。
しかし・・・
もともと営業マンとしての能力があった?のか、苦労の甲斐があって2年目からトップセールスとなる。自分でも信じられなかった。
営業未経験のこの私が・・・?
人間やればできるものだ。いろんな能力が開花する。
その後も10年以上にわたって常に安定したトップセールスの座をキープする。(19年間の営業実績は245棟・1141戸・合計100億以上の受注)
この頃から営業セールスを長くやっていて、顧客のことを顧みず、仕事を取ることだけに専念する営業マンの多いことに疑問を持つ。
営業マンとしての活動は、契約を迫らない営業ポリシーを貫き通す。
通常、この業界では信じられないことだが、それでもトップセールスは維持できた。
-------営業マンは契約という言葉が好きだ。住宅の営業マンなどは顧客に対して「契約」の連発だ。提案書を出せば、必ずクロージングといって契約を迫ってくる。そうやって顧客は急がされ、心理的プレッシャーを受けながら最後には契約書にはんこを押してしまう。営業マンは熱心さ、人間関係という武器を使うのだ。--------
私は方針を変えた。顧客自ら納得の上で「契約をしなければいけないね。」といわせる技術を身に付けた。だから後半10年間は建築費を値引き?させられたことはほとんどない。
もし仕事を取るだけの営業に徹し、「建てたらさようなら」の営業スタイルでやればまだまだ仕事は取れただろう。
でもそんなことは空しい。営業とは顧客が満足感を得、顧客から感謝されることにある。
この頃、仕事での必要に迫られ、宅地建物取引主任者を取得する。
もう37歳になっていた。
受注活動だけではなく、組織体の攻略にも莫大な時間を費やし、企業間の関係を作った。
今現在、この建築メーカーにとって、その組織はなくてはならない存在となり、組織ルートは建築メーカーが今も踏襲している。
自慢になるが、私がいなければここまでの関係はできなかったと思う。
10年間営業という仕事を続けてきたが、仕事に対しての評価が少ないことに不満を持ち、退社を決めた。
もうひとつ言わせてもらえば、組織が大嫌いだった。
だから役職も拒否した。
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